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2013年5月15日 (水)

まとめて その2

ひたすらスケッチと図面書きを進めているので引きこもり。

が、ここのとこいろいろな人と話をする機会が多い。
☆建築よろず相談室のSKYPE会議
☆学生から就職や進路の相談 (数年前に懸念していたことが現実に・・・)
☆大学時代のサークルの後輩からの建築相談
☆ずっと前に竣工したお客さまの紹介での建築相談などなど
そして、1日のノルマ3kmのウオーキングで、専門学校で教えていた子にばったり会う。「アゴのラインがでてる!お腹が凹んでる!」って言われたのが嬉し。ここ半年で2割体重が増えたというその子と一緒に、更に6kmもあるきました(笑) 

そういえば、4月に遠征した記事をあっぷしてなかったので追加

昼食を食べた後、原付ツーリングで真壁へ。主目的は昨年建築学会作品賞を受賞した設計組織ADHの真壁伝承館(2011)の見学。真壁の町家の要素を取り入れたという屋根の形態。資料館に置かれた街の模型を見ると配置や形態の説得力を感じる。

Mmodel

西側からの眺めも木の表層仕上げが効いているし、スケールも町並みにマッチしている。窓枠と木の見切り、棟間に飛ばされた庇、軒樋の処理は流石。ただ、上品で温かみのあるモダニスト(木下庸子さん)であったADHが、このようなポツ窓を散らす必要があったのか。白壁や黒壁を活かしたもっとオーソドックな形でまとめてほしかったというのは個人的思い。私はどうもこのような窓が生理的に苦手のよう。ポツ窓散らしはゼロ年代の代表的な設計要素なので、そのトリとしてはありなのかもしれないけど・・・。

Md1 Md2 Md3 Md4

資料館の解説どおり、伝承館の周りには古い町家が点在している。ただ・・・地震で瓦や土壁が落ちたものも多かったようで、シートや足場がかかっているものも多い。

Mc0 Mc1 Mc2

江戸時代初期、真壁藩主が浅野長政だった時代、真壁は関西東北の商人の中継地として、また木綿市などが開かれる商業都市として発展。豊富な水資源によって酒造業も24軒と繁栄を極めたそう。その後、浅野氏の笠間への移封によって、真壁藩領の分割解体。明治時代には製糸、石材業もはじまったとのことだが、言ってみれば既に廃れてしまった地域。建物を更新するほどの力はなかったのではないか。その結果、このように歴史的な町並みが残る場となっている。

ただ、とても街が小さい上に、そのような町家も点在しているに過ぎない。保存や使用状態も良くはない。歴史的建築物や凍結・動的保存の動向には疎いのだけど、私の美的感覚から判断すると、このような建物や町並みがあったという歴史的価値、本物の材料が年月を経て生み出したノスタルジックな雰囲気以上の良さはないのではないかという感じも。ああ、これは自分の設計に取り入れたいなあ、というような要素は発見できなかったのがちと残念。

で、勢いで筑波山まで登り、京成ホテルでUターン。本日の走行距離115km。消費ガソリンは4L程度か。足がとにかく冷えるから何か買わないとダメだな。

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