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2012年7月

2012年7月31日 (火)

東北大オープンキャンパスへ

今回は文系キャンパスを中心に廻る。

教育学部はたった60名の定員。そに対し、1日目の昨日は3200人の来場があったそう。いやはや。東北大の教育学部は教育を学問として学ぶ教育学コースと教育心理学に別れる。教員養成系は既に宮城教育大学へ移譲済み。

模擬レクチャは「学ぶ事の意義について」と題し、識字教育について。言葉を話す、聞くということは特段の勉強をしなくてもできるようになる。しかし、文字を書く、読むということは必ず学習が必要であるとのこと。

昼食は、針生承一さん設計の川内キャンパスの食堂。小さく、長い空間分節と木の架構が特徴的。いやいや制服をきた高校生ばかりなんだよな。父兄も私服の学生もほとんどいない。

Kwh

で、一瞬青葉山に登り・・・。やっぱ校舎が立派だよ。そして壊されつつある人間環境棟(建築土木棟)をみて一息。なぜか工学部のオープンキャンパスのほうがにぎやかで楽しそう。普通、逆じゃないか???

Aobaar

山を下り川内にもどる。文学部では、学部長から文学部で学ぶことの意義がはじめに知らしめられる。文学部では雑学のように広く浅いことを学ぶのではなく、ひとつのことを深く深く追求すべきである。見えているものの背後に何があるのか、それによっていえる事、いえない事を判断していかなくてはならない。文学を通して人間性への鋭い洞察を行っていくことが目的とも。前段のくだりは、社会で上手くやっていけなそうな気もするが、後半はなる程と・・・。

模擬レクチャは、方言を調査することで言葉の変遷をとらえらえようという研究成果について。古典の文法は平安時代の女性貴族文法、現在の標準語は東京語だよという下りが妙に心に残り・・・。

ただ、どちらにも悲しいのが、就職状況。進学でも就職でもない「その他」が15%弱。更には民間就職先の割合で最も高い比率をもつのが学習支援業、いわゆる塾だったり・・・。世界的な研究成果を上げている大学だと紹介しつつ、それは理系の材料工学や電気通信研究所だったり。

東北大学って工学系の実学大学なんだなあって再認識してしまった。もちろん校舎も理系の方が数段良い。写真は材料工学=金属系の研究所。

Kktu

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2012年7月30日 (月)

餃子三昧

午前中KMCの上棟式。お昼にお弁当をいただく。

Kmcj

午後、駅に某局Dを迎えに行き、取材の下見。そして餃子店を案内。
まずは「正嗣宮島店」。焼4、水2。ちなみに正嗣は取材NGだとか。なんと店主のK君がおごってくれた。

Masashi

休憩もなしに、最近改装された「香蘭」へ。客ぜんぜんいない・・・。奥さんを無くされたご主人と、バイトらしい若い人が2名。彼らが調理。店主が焼いていた時のほうが美味しかったような・・・。焼1、揚1、水2。

Kouran

最後は「ふんよう菜館」へ。豚バラ、サラダ、餃子2・・・。店主に、取材はまだNGなんですかと聞くと、取材はめんどくさいからなあと・・・相変わらず(笑)

Fun

夜はリッチモンドアネックスで月例会。参加は13人。レクチャラーは私。お題は建築知識2012年6月号に掲載された「ざっくり君」に考え方と詳細解説、さらには製作中の本からの図版を提示。いろんな意見が聞けて助かる。ちなみに、私、餃子三昧のせいでお腹が一杯。ウーロン茶3杯を飲んだだけで終了。参加人数が安定してきたので、外部から人を呼べそうだな・・・。次のステップへ。

Getsu7

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2012年7月27日 (金)

瓦が乗った

ようやくISHの本体、瓦修復工事が終了。古い瓦を丁寧に下ろし、小屋組が現れるまで解体。痛んでいた垂木を交換し、不陸を直し、断熱材を挿入。トップライト周りやグシ部分は新しい瓦を加工して施工。屋号の「石」も復活。これが100年前のものなんて不思議な感じ。

Ish07271

かなり痛んでいた下屋部分は全て撤去。そして新たに造り直すこととした。現在加工中。屋根が下地だけで、下屋がなかったときは、なんだかマヌケな印象だったけど、こうしてみるとやっぱり良い。プロポーションを大切にしてるわけではないのに、木割りのお陰でプロポーションが整えられてしまうんだよな。大工の技術ってすごい。

Ish07272

で、暑い中、大工さん兼監督さんと建具枠の打ち合わせ。1/5の詳細図を書き、といっても図面が実寸で書かれているので、拡大し、再構成して、寸法を入れるだけなのだが、部材寸法を書き出し、そのまま発注できる状態に。3月から入ったスタッフも、何日もかけ1箇所の詳細図を書く。ダメだしは2度(笑) 加工の時にも立ち会うようだろうなあ・・・。

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2012年7月26日 (木)

BIM革命

日建設計・山梨知彦さんの「BIM革命」を読了。

BIMに関する基礎的な知識としてBIMに至るまでのCADの様々な試みと違い、各国や各団体の取り組み状況、発注の仕組みの分析まで幅広く、平易に解説し、そのうえで今後を予見しようとしている本。

3Dで考え作図するだけでなく、部材に様々な情報を組み込む事でライフサイクルコストまで含めて検討でき、そこまでを考慮すれば、BIM が最も効率の良いシステムツ−ルであることを説く。基本設計の段階に負荷は増えるが、実施設計や施工がスムーズに進むことでトータルなコスト削減につながるとも。この部門で先を行く自動車業界などを解説しながら。そして、BIMにより建設業界に革命が起こるのではないかと。

しかし、やはり少々の疑問が・・・。結局、大多数の建物は二次元で済むのではないかということ。そして、現場まで3次元で対応できるようになるのはいつのことかと。また、昨年のインタビューで聞いたBIMの先駆者・前田建設工業で聞いたように、結局、複雑な形状をもつ建物の、設備と構造の取り合い以外で3Dは活用できていないとも。

BIMは既製品ユニット、またはユニット化されたものを集めて組み立てるという設計手法に極めて有効な手法だとは思う。また、50年代後期から60年代に盛んに研究された部品化、標準化、設計の自動化を最新の技術を使ってやろうとしているという感じもする・・・。さてそれで素敵な建物はできたのだろうか。BIMの技術があればできるのだろうか・・・。

各社の業態に応じてBIMを利用した場合のメリットと将来の姿が語られてはいるが・・・。

おそらく、日建設計は様々なディテールをデータ化しストックするので最もこの手法が有効に活用できるのではないか。また、3次元でないと考えられない、そこに属性を入れた方が検討し易いプロジェクトも多いだろう。

さて、決定をできるだけ後に伸ばし、より良いアイディアを練る時間を欲しようとする小規模な職人的なアトリエ的手法に合うかどうか。そもそも、そんなに同じディテールや箱を大量に生産することもない。ある一定量をつくれるアトリエだけに淘汰されるのか・・・。

また、3Dでしか考えられない、またBIMの情報を最大限活用できるような、そんな複雑な建物を造る必要があるのかという気はするし。複雑だからといって美しいとか、資産になるわけでもないし。さてその複雑性に人間の感性がついていける日がくるのかという疑問もあるし・・・。また、3次元で考えるより、2次元を2回考えて3次元にしないと頭はついていかないし・・・。そうとうの熟練者か天才しか扱えないような。またはブラックボックスを疑いも無く配置できるオペレータ。

でも、デザインをある程度極め、標準化をしてしまえば、もっとまともで美しく見える建物も増える気はするし。標準化の限界がハウスメーカー的建物だとすると、さてどうなんだろうという気も。

そして山梨さんが説くように経済的な効率があがることが果たしていいのだろうかという、反体制的な思いももってしてしまったり・・・。これってCAD導入時に反対したおっさん設計者たちの心境と一緒なのかな。だって私はもうそのおっさんの年。

なんだか整理が着かないけど、書き留めておこう。

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2012年7月22日 (日)

プーチン

何か自分の好きなものを見つけた時に見せるこの能天気な表情がかわいい。既に5回も見てしまった。いまだにBGMが覚えられないあたりに音楽能力の欠如を感じつつ・・・。

Pu


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2012年7月21日 (土)

メンテ

竣工して6年を超えるTYH。ちょっと訳ありでお邪魔することに。ピーラー無垢材による玄関ドアの黒カビを塩素で落とし、内部建具の黒カビや汚れは紙ヤスリでこすり、杉板による塀の緑ゴケも重曹でおとし・・・いやいやけっこうな重労働。この動きが報われることを祈りつつ・・・。

Tyh20120721


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2012年7月20日 (金)

仙台へ

就活マニュアルのポートフォリオ取材をフランスからの留学生に、今期2人目。日本への憧れが良く解ると共に、創作の自由度、製品としての完成度がとても高い逸品。7割位は聞き取れるんだど、質問は通訳経由(苦笑)

夕方より、エクスナレッジの三輪さんと合流し、研究室にて本の打ち合わせ。今日、何もないっていうから打合を設定したのに、某自主制作本の入稿で編集志望の学生は1名しか懇親会に参加できず。勿体ない。さっさと打ち合わせを済ませ、いろは横町のすけぞうに入店、あっという間に5時間経過、そして1時解散。大人中心、かつ少人数だと美味しい店に行ける(笑)

翌朝、ホテルをゆっくりチェックアウト。久々に太助へ。めずらしく並ばないし、空席も目立つ。そういえば若干、肉が固くなっている???写真は1.5人前。

Tasuke_2

で、ミスドで、私の書籍の打ち合わせ。建築設計者向けのコスト本の下図版が7割ほど完成。今後の進め方についてじっくり・・・。テキストを書き始めるか。

夕方より、某大手ゼネコンの東北支店長にインタビュー。現場、営業、支店と培ってきた人脈とスキルを活かしながら、東北で生まれ、学び働いてきた東北を愛する1人として、まちの再興を真剣に考え、動いている。土木と建築の垣根を取り払う必要を説き、今回の大震災では焼け野原の戦後を経験し、都市造りに長けた建築家をマスターアーキテクトとして招こうとしていた。バラバラに、かつゲリラ的に動いている建築家とは全く違う。考えるスケールの違いに驚くばかり。

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2012年7月14日 (土)

亀小屋

亀はモノの下に入り込む習性があるらしい。甲羅干し兼、居場所として、木製の小屋をつくってあげた。初日から臆することなく、そこに潜り込み、一日の大半をそこで過ごす事になっている。最近は、ケースと木の間からこのようにこちらを見る事も多い。

Kamek


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2012年7月12日 (木)

仙台へ

あいちトリエンナーレ招聘アーティストや事務局方々の案内役兼ドライバーとして、仙台市から海沿いを南下。前回、遺体捜索中のため入れなかった地域もあるが、1年3ヶ月ぶりの再訪となる。

仙台市の海水浴場であった荒浜は、被災の色が濃くのこっており、仮に建てられた慰霊塔に人が集まってきている。7月半ば、既に海の家が置かれていても不思議のない時期だが、曇天の空がそのような場でないことを強く感じさせる。

Arahamab

かつての場所にプレハブが設置され、本尊が安置される寺。傾いた石碑や欠けた石像も痛々しい。住宅街であった周辺は、建築物はすっかり消え、荒れ地のような草が覆い始めている。

Tera

閖上まで南下しても同様、全てが消えた荒れ地が続く。津波による浸水レベルをクリアするような住宅街をつくるための試験的な盛土には緊急時避難場所との表示も。鳥居だけが再建された神社も見受けられる。毎月11日には供養が行われるのか、式典が行われ、喪服姿で祈る人々が目についた。

Jinja

亘理の荒浜港も壊れた建築物は全て撤去。使えそうなものは外壁が既に修復され、妙に建物が少ない印象は残るが、漁港としての機能は復活してるよう・・・。

Arahamap

震災から1年半、被災建物が撤去され、鎮魂が各地で見られる。それだからか、より一層妙な寒々しさを感じるようになっていた。

仙台に戻り、伊東豊雄さん(1941-)のみんなの家(2011)を再訪。「見学の方お話をします」との貼り紙、雑然とした室内、被覆類を這わすネットなどが設けられ、みんなに使われているのが良くわかる。

Minnnaout Minnnan

キュレータの排戸さんから伺った、権力と建築の話、不幸な時代と美術の話、とても興味深く感じ・・・。意匠・構法という視点だけでなく、建築を分析すると面白いんではないかと実感。

7時からは、阿部仁史(1962-)アトリエでおこなわれたせんだいスクールオブデザイン-インタラクティブレクチャを聴講。講師は浅子佳英さん(1973-)。建築からインテリア、編集に装丁と幅広く活動をするが、思想地図β版に掲載された「コムデギャルソンのインテリアデザイン」によって論客として一躍注目を浴びている。

川久保令という天才デザイナーによって1969年に設立されたコムデギャルソン。その思想インテリアの変遷を、思想地図に登場する人々が唱える文脈(?)をベースにしながらも、独自の見解を示して行く。

戦後を70年以前、70年から95年まで、95年以降に分類。
理想の時代、虚構の時代、動物(不可能性)の時代
革命の時代、消費の時代、ネットワークの時代・・・。
という定義は思想地図のまま。

規制を逆手にとり新しいデザインを生み出し、それを規制のない空間に転用。さらには完璧な場をさけ厨器だけを放り込むマーケット型の展開。さらには思想だけを唱え、それ以外を地場資本や他のデザイナーに任せ、1年限定にすることにより、ブランドイメージを守りながら、在庫も整理、かつ既存空間を生かさざるをえない状態によって店舗を展開して行くグラミンフォン=ゲリラ的デザインへの移行。

洋服をゲームのようにルールを崩していったギャルソンは、インテリア、ショップ、ルール、商圏というものまでを崩し、進化しつづけているとの分析。

ビジョンがあるから、規制が生まれる。その規制を守りつつ、考え抜けば、規制をはるかに凌駕し魅力的なモノができる瞬間、オーバードライブが生まれる。それができたのが川久保令だということばが印象に残る。

川久保令が如何に天才か、コムデギャルソンが如何に新しい価値を創造してきたかが良くわかるレクチャでした。

終了後、深夜の開始の懇親会に合流させていただき、2時解散。サウナで仮眠をし、始発の新幹線で宇都宮へ。朝から脳みそフル可能で、施工関係の打ち合わせ。専門職の人たちは、みんなプロフェッショナルだ。

できる人こそ常に誰に対しても腰が低く、他人の言葉に耳を真摯に傾ける。たとえ身なりの微妙で不審者のような私にでも。その上で、なる程と思えるような切り返しをする。とっても勉強になる。そうでない人は・・・ということも実感。

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2012年7月10日 (火)

施行中のISH。100年前に噴かれた瓦。それ故、割れてしまっているモノも多く。とりあえず、その製造先を探す事とした。インターネットの時代、依然とは比較にならないほどモノに早くたどり着く。

瓦の裏に書かれている製造所の住所と名前を検索。古い住所であるが、wikiにより後追い可能。googleで検索。既に会社はないようだが、近所の製瓦屋さんを探し、直接電話。

とても親切な方で、いろいろ教えてくださる。この時代、瓦は木枠でつくっていたそう。木枠はひとつだけでは間に合わないから、サイズが多少変わってしまう。そして瓦も小ぶり。残念ながら、以前その会社はあったが、今は無いこと、当然木枠もない、さらには周辺の瓦製造所も全て窯を廃炉にしてしまっているとのこと。なんでも三州瓦のほうが安いし、いまでは中国から大象瓦というものをコンテナで輸入しているとのこと。木枠の瓦であれば坪当たり52枚必要だが、これは33枚で済み、30キロも軽いという。コストも5分の1以下になっているとか。

単なるノスタルジーかもしれないが、少々サイズの違う瓦を職人の腕によって積んで行く。これっていいよなあ・・・。

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2012年7月 9日 (月)

信州へ

またまた、Iさんと一緒に信州へ。

まずは、西沢立衛さん(1966-)の話題の新作・軽井沢千住美術館(2011)
繁っていえると言えるほどの木々に埋もれるように、ガラスのスクリーンの建築が現れる。小さな風除室を抜けると、元の地形に沿わせたという緩やかな傾斜が広がる展示室に。ところどころに木が残されている高原のスキー場、例えばグランデコのような場を連想してしまった。西沢さんによれば、森の中をあるくように場を巡り、家具でくつろぎ、軽井沢の緑を感じてほしかったとのこと。

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空調吹出口はガラス際、床面にスリットであけられ、照明も最小限に抑えられているため建築内の要素がとても少なく感じる。スロープの基準をクリアするために床にステンレスの見切りが入っていたり。良くできてるなあ・・・。そういえば排煙はどうやってクリアしたんだろう、見逃してしまった。そして、四隅の床と天井は、地形に沿わせるわけではなく、少々反らせている。そこに何かの意志を感じるような。

そして、中からは外の景色がしっかり見えたのに、外からは中の人や中庭が薄い影のようにしか見えない。とても不思議なシルバースクリーンの効果。

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現地で買った美術館の公式ガイドによれば、千住さん(1958-)の絵は、「こんなの日本画じゃないよ」と散々言われてきた。だからこの自分の美術館では「こんなの建築じゃないよ」と言われるようなものを期待していたそう。たぶん一般の方は千住さんの言うように、びっくりするはず。でもモダニズムの延長上にあると感じてしまう私は既に感覚が麻痺しつつある業界人なんだろうな。千住さんの絵は若い女性がとても好みそうなゆるい雰囲気をもっているような・・・。

隣のデコン的建築・レストランやショップが入る付属施設(2011)は安井秀夫さん設計。

Yh1 Yh2 Yh3 Yh4

次は小諸の懐古園。意外にいままでスルーしていたのが不思議。
まずは谷口吉郎さん(1904-79)の藤村記念館(1958)を拝見。和風のとてもプロポーションの良い建築。軒の高さや、格子の位置、間隔、太さ、屋根の処理。中こそ、ただの箱だけど・・・それは時代かなあ。正面が抜けて緑が見えたり、左側のボックスに事務関係が納められていたらなんて思ってしまった。実は、こちらではなく、馬籠の藤村記念館(1947)は第1回建築学会賞を受賞したそう。そっちのほうが建築家界では話題にのぼる。

Ts1 Ts2 Ts3

そして村野藤吾さん(1891-1984)の小山敬三美術館(1975/毎日芸術賞受賞)。木々に埋もれるように、森の中の小さな住まいを意識してつくられたとのこと。主展示室は村野さん本人、第二展示室は後の増築で、息子さんの設計だとか。驚いたのは床の傾き。千住美術館の床の傾きは、極めて希有なそして新しい試みだと思っていたのに、それより35年も前に村野さんがココでやっている。中庭を挟み、緑に埋もれる、敷地に沿わせるという概念も全く一緒。コンクリート壁の装飾的造形、内壁の分離、アーチ型の装飾壁など・・・最近の建築家が好む要素が詰め込まれている。とても意外な発見だった・・・。そして、ここでも解説員の方が村野建築をベタ褒め。広島と一緒。そして丹下さんや安藤さんの強さを好まない。不思議な現象。

建築評論家の浜口隆一さん(1916−95)が受賞に寄せた表現を要約すれば「建築における芸術性、表現性を追い求めていた建築家村野、彼の会心の作。画家の作風を建築に表現し、欧州油絵調であり、小山画伯の代表作白鷺城のイメージが浮かぶ。内部は曲面により自然光と照明を巧みにアレンジし親しみ深い空間である。」とのこと。なんだか感覚的かつ主観的・・・。

Kym1 Kym3 Kym4

長野へ移動し、先ほどの谷口吉郎さんの息子さん、谷口吉生さん(1937-)の東山魁夷館(1990)へ。約20年ぶりの来訪。いやいや、またもや裏側に車を止めるI氏・・・。正面へ廻るとおばさん連中が「物置かと思ったけど、ドアをあけたらびっくりしたわ」とのこと。それを逆に入ってしまう私たち。

これは、20年以上前の谷口さんによるオーソドックスなモダニズム建築。全てを設計段階でコントロールしようとするもの。一方、千住美術館は、偶発性にも期待し、最先端のモダニズム。技術の向上もあるし、時も経ったので見劣りするのではないか、以前ほどの感動はないのではないかと思って行ったのだが・・・。

アプローチから見ると、木々が育ち緑に埋もれている。高耐久・防汚性をもつガルバリウム鋼板は時間を感じさせることもない。絵を引き立てるために照明を隠し、意識を集中させるような深く長い垂れ壁、床の切り替えで絵に近づき難いような効果があったり、メインフロアは音の吸収を期待できる素材であったり・・・。エレベータの隠し方、見返りの効果、大、小、吹き抜けと異なる空間のつなげ方、階段の見せ方、そして隠し方。最後に水面を眺める休憩所。鉄骨柱なのに、和を感じさせるんだよな。たぶんそれはプロポーション。絶句するしかない・・・。ひとつわからないのはやはり休憩所にたつ太い柱。酒田の土門拳記念館(1983)でも感じたこと。お願いですからその意図を教えてください。

Hgs1 Hgs2 Hgs3

そして、善光寺(1707再建)。いやあ巨大だ!暗闇をめぐるお戒壇巡りに驚き。2周もしてしまった(笑) 太い柱なんだけど、大空間のせいで妙にスレンダーに感じるというか。これだけしか柱がないし、壁らしい壁がないのに、よく水平力に耐えられるなあと。接合部の固定度が高いのと、上部のに斜材がからんでいるのかな。修理報告書を読まねばならんか?

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そして本来の目的である就活マニュアルのインタビューへ。ある建築家が就任して6年、学生の意識が大変化。「設計事務所って何?」という状態から、今年だけでも大手組織設計事務所に3人も内定を出すという快挙を成し遂げた研究室がある。そのうちの1人にインタビュー。就職を意識しているのか否かはわからないが、研究室で考える力を養うトレーニングを続けてきたのが良く解る。基礎力養成だけでなく創造的な千本ノックというべきか。一緒に食事でもと思ったけど、疲れすぎだったので早々退散。その日のうちに宇都宮到着。便利になったなあ・・・。

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2012年7月 7日 (土)

深川、京橋、青山

いつものIさんと一緒に東京へ

まずは、玉置順さん設計の深川不動尊新本堂へ。
24文字の梵字を繰り返した装飾が目を引く。素材はアルマイトに金メッキ。上を見上げると梵字の隙間にボイドスペース。よくよく見るとこの壁は可動式のよう。後ほど新建築でチェックすれば、豆まき時には壁が動き舞台が出現するという。とっても大掛かりな仕掛け。

繰り返しは梵字だけではなく、仏像に位牌、照明まで・・・。おびただしい数のそれらが壁や天井を埋め尽くしている。はじめて見る光景。これらは玉置さんの設計ではないが、おそらく発想のきっかけにはなったのではないかと・・・。

1階の素っ気ないエントランスから入ると、両壁には多数の光輝くもの、前へ進み視界が開けるとともに、それは上部からの輝きへと方向性を変える。真っ黒に塗られた天井に目をこらせば、玉置さんがいつも行うような長方形の角が取れた造形。

ご本尊の下部を通る祈りの回廊には、壁一面に小さなクリスタルに包まれた仏像彫刻が安置される。折れ曲がり、登り、狭くなる斜路。伝統あるお寺なのに新しい造形に積極的にチャレンジしているよう。

そういえば、内仏殿の4階はギャラリーになっており、有名画家の企画展が行われていた。しかも無料!

なんでも新本堂の事業費は総額30億円だそう。どこまでが含まれているかはわからないけど、すごいものだ。のぼり幡が○万円、塔婆が○万円、クリスタル包みの仏像彫刻が○万円等と書かれているのを見ると、俗な私は、数千体あるから、1年で××億円が回収可能か・・・なんて下世話な事を考えてしまう。

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周囲には懐かしさを感じさせるような名店が多数。
「あげまん」を掲げる迷店も(笑) たぶん栃木・高林堂の「かりまん」と一緒。

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そして京橋、旭硝子AGCstudioで行われている「新しい建築の楽しさ展」へ。建築家は模型で思考と検討を重ねるとのことで、12組の若手建築家の模型が飾られる。藤本さん的に立体格子が積み重ねられた会場構成は藤本壮介事務所の初期メンバーである青木弘司さんだった。

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早速足が疲れてふらふらなので、2階の図書室兼ショールームで休憩。蔵書は少ないものの、私の作品掲載が1冊、寄稿掲載も1冊発見。隣には藝大・乾久美子さんによる会議室とオフィス。青とオレンジという補色を選んだ中間膜合わせガラスのパーティション。建築家的なというか、構成的なインテリア。そのほかはホワイトキューブ的なオーソドックスで過不足のない箱、設計は東大・太田浩史さん。

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さて、青山に移動し、建築家会館で行われた「広瀬鎌二を偲ぶ会」へ。
第一部は「広瀬鎌二とその時代」というシンポジウム。パネラーは池田武邦氏(1924-)、伊藤延男氏(1925-)、内田祥哉氏(1925-)、高橋靗一氏(1924-)、そして司会に矢野和之氏、サポートに松成和夫氏。ちなみに広瀬鎌二氏は1924年生まれ2012年没。いやいや、この方々を「生」で見れるだけで驚きが!だって私が学生時代の20年以上前であっても、教科書というか神様のような人だったんだもの。しかも、池田氏からは「広瀬先生は海軍だったのですか、私もそうだったのですが・・・」といったいいつの時代の話だと言う発言も(爆笑)

それぞれ方々の話で印象に残った事を列記。
池田氏:広瀬氏の建築を雑誌で知る。贅肉のない建築との感想。実際お会いした時は作品そのまま、C型鋼のような人だった・・・とのこと(笑) 広瀬氏はフィンランドに行って(1964年の海外旅行自由化後の旅行だったはず)、古建築をもう一度みようと思ったのではないかという推測も。

伊藤氏:伝統のディテールを制作する為に何度も会議を行ったが、広瀬氏はその当時既に、文化財修理報告書をほぼ全て熟読済みだったのではないか。その頃は300件、現在は1000件余かと思うが・・・とのこと。また、重源に関する新しい資料はもうないのに、良く「大厦なる・・・」を書けたなあとのお話も。

内田氏:浄土寺浄土堂の解体調査を行い、その後広瀬氏を浄土堂に誘う。確か「伝統のディテール(1975)」の2年前、それから重源にはまるとの回想。そして、SH30を希代の傑作と指摘。レゴのように造れるが抜群に美しいと例えたが、ハウスメーカーのように汎用部品化していながら、彼らでは(というより他の建築家では)到底到達することのできない美しさをまとっているというのがその理由。構法の専門家だから広瀬氏の建築を良く解っていて・・・。ピン接合、ボルト接合なのにラーメンになる仕組みの開発、しかもそれをRCにまで応用しようとした恵比寿岩田製作所営業所で試み。それらを壁を入れてもたすという日本的な仕組みが発想の原点であると分析したり。50年代のコールドフォーミング(冷管成形)やブラインドリベット、押し出し成形、曲板成形について、貧しい日本の技術と資材、そして試みを回想したり・・・。

高橋氏:基本は冗談、会場に笑いが飛び交う。長くなりがちな会を短くまとめ、場をなごませ・・・。広瀬氏のことをスティッキー、ひっついたら離れない奴との面白い例えが記憶に残る。

その後、会場にマイクを移し、奥様が元所員である長倉康彦夫妻、平良敬一氏、本田昭一氏などから補足。

そしてまた4人にマイクが戻され、次世代の人へお願いしたい課題を・・・。特に内田氏の「石の置換であったヨーロッパの木造と、木から始まった日本の木造は成り立ちが違うはず、これを研究してほしい」ということが印象に残る。

ダンディで矍鑠とされている池田氏、ゆっくりじっくり話す伊藤氏、恐ろしく深く切れ味の良い内田氏、愉快で少年のままと言う感じの高橋氏。仕事がその人を造るのか、その人だからそういう仕事に行くのか、それぞれの仕事が反映された雰囲気も印象的。とても勉強になると同時に、自分の知識不足をまたもや実感してしまうことになる会でした。(写真は開会前。始まる頃には満席、立ち見ありでした)

Hl

会場での懇親会後、山本成一郎さん、川口通正さん、某中堅組織勤務のSさんなどとピザ屋で2次会。あっというまに終電の時間を迎える。帰りの電車で気づいたこと。なんとIさんと靴が一緒。気持ち悪い・・・。

Regal

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2012年7月 6日 (金)

KMC建て方

ようやく鉄骨が立ち上がりました。正面の鉄骨の接合部、上手くいったみたい。このあと、足場をもう一層増やし、養生シートを貼り、それからR階の梁を仮締結するので、建物の姿は見えなくなります。再び現れるのは外壁を貼って、足場が取れる10月初旬。

Kmc

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2012年7月 3日 (火)

昔今

久々の鉄骨製品検査。

Fab

以前、鋼構造学会の研修を受け、川崎の溶接業協会で溶接実習をしたことがある。思うようにバーナーを振れず、ブローホールがたくさん・・・(苦笑) プロがやる仕事にそのようなことはなく。目視でキズを発見することなんてできない。誰だそんなチェック項目をつくった奴は(苦笑) 超音波の測定だって、私たち設計者では手をだせず。製品検査といっても、寸法が適正かどうか、仕口が設計の想定どうりかを確認することくらいしかできない。まあそのファブを見れば技術水準が分かるから建ててからしまったなんて思うこともなく、安心はするのだが。

今回、学んだのは、想像以上に溶接による主材の歪みがでること。通常の製品検査では歪み補正後のものだけしか見れなかったので今まで全く気づかなかった(汗)

そして今回ファブの様子を見て気づいたこと。女性?っと思った人がベトナムからの研修生(男)だったり、ファブ内の騒音のせいで話さないのかと思ったら中国からの研修生だったり。もう日本人の若い人が現業で技術をつけることなんてないのかな。中卒は金の卵と言われたのは大昔、今や県立工業高校卒業者でさえほとんどが進学してしまう世の中。ほとんどの人が管理側の人間を養成するコースへ。作り手の欠如、現業経験のある管理者の欠如は大きな問題になるだろうなあ・・・。


そうそう、昔はお洒落でガタイの良い人がスポーティータイプの車を乗っていた。今はメガネでヲタクの人が多いような。そして、出っ歯に竹やり、ボディ塗装はヤンキー車の特徴だったけど、今やヲタクによって痛車として蘇っている。

時代は変わった(笑)


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2012年7月 2日 (月)

気温が高くなり、水槽の水が汚れ易くなってきた。24時間で悪臭を放つ(−−;) 臭い奴。ちなみに、近所のお店で売っていた水草を2つほど入れたけど、水質改善にはならず。しかも、こいつ、根をまき散らし、葉っぱの一部を食べてしまった。

Kame

そこで活性炭入りのクリーナーを買ってみた。たった1180円。値段相応の造りの粗さ、いかにも中国製というか・・・(苦笑) 早速水槽に入れる。微妙なモーター音がするのと、いままでなかった水流が生まれるためか、亀が少し怯え気味。とはいっても予想通り一晩経ったら二次部材の透明なチューブが壊されている。とってもきれいになるわけではないが、とりあえず2日程度なら水換えの必要はなさそう。問題はフィルターが何日もつか・・・。

Clean

与え続けて3ヶ月。ちょうどエサがなくなったので、新しいものを買い足す。緑の棒状のものから、茶色のものへ。するとウンコの色が緑から茶色へ・・・。不思議なものだ(笑) 最近は少し慣れたのか、エサが欲しい時はこちらに寄ってきて、じっと目を合わせる。そのくらいの脳みそはあるようだ。

Esa

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2012年7月 1日 (日)

聖堂by石丸氏

広島で買ってきた石丸紀興氏の「世界平和記念聖堂〜広島に見る村野藤吾の建築」を読む。


特筆すべきは第3章記念聖堂の設計という章ではないか。
ここでは日本人建築家を対象としたコンペを計画する経緯から、コンペの審査、そして顛末、さらには、村野氏がどのような意図で設計を行ったかが描かれている。

先日も書いたようにコンペの要項では
・日本的性格の尊重
・モダンスタイル
・内部の宗教的印象
・外部の荘厳性
が明確に求められた。

残念ながら1等はなし、2等に丹下案と井上案、3等一席扱いで前川案が選ばれていたとのこと。

丹下案はシェル構造による創造的建築技術的な作品。しかし、このシェル構造が宗教家に受け入れられなかったという。類似性によって落選となった訳ではないとの断言後、オスカーニーマイヤーが設計したシェル型の聖フランシス教会においてカトリック教徒の批判と反発を呼んだという事件があったからだと記されている。

井上案は配置計画に問題があり実施不可能とのこと。しかしその配置の問題については記されていないとのこと。図面を見る限り、私も読み取れない。

前川案は折板的構造によるラジカルなものであるが、宗教性の欠如が指摘されたとのこと。

一等案がでなかったのは、ある審査員から評価が高くても、全員から高い評価を得られるものがなかったからだと石丸氏は記す。さらに、宗教的と日本的という表現に弱さがあったからだと教会代表者の感想として触れられてるとのこと。また、当時の学会誌において、1等がでないとしたら、それは要項に問題があるのではないか(4つのキーワードが相反するものではないか)、1等は相対的に選出すべきだという東大岸田教授による1等必選論争もあったそう。

結局、審査員の今井兼次氏から村野氏への進言、そして村野氏が責任をとる形で設計に着手したという。

村野氏はエストベリのストックホルム市庁舎やヘリガット教会に対する共感が根底にあり、聖堂の設計においてはポール・ボナッツのシュッツトガルト駅、給水塔、コルヴェンスとハイム市庁舎や、カール・モーゼルの聖アントニウス教会を参考にし、直接的な影響を受けていることを、元所員の証言や村野氏の旅行行程から言及する。

また、村野氏が考えていた日本的性格については、先日も書いたように松竹梅の模様、屋根の鳥などとして建物に添えられている。また、このコンクリート煉瓦もそうであるとの記述も見られる。ただ、私としてはそれが日本的とは同意できないけど。

ちなみに、村野氏の言葉で私の心に残ったのは「10年後を見てください」ということ。実際、植栽が落ち着き、ステンドガラスや鉄扉、オルガンなど設置等、教会が現在の形となったのもその頃、煉瓦もうまい具合に汚れていたそう。建ててすぐがもっとも美しいのではなく、10年後から始まる・・・。それって本質なんだけど忘れがち・・・(自戒)

あらためて本を読んで感じたこと。丹下氏は日本的なものを精神性としてとらえ、構造即建築という手法を使い、空間に反映させていたと思う。一方、村野氏は日本的なものを要素として考え、装飾的にというか、装飾として建物に付加していったというか。前川氏?わからないんだよな、いまだに・・・。

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