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2012年6月12日 (火)

磯崎論&SSD村上タカシさん

今年の都市建築理論の講義は磯崎論。さて、磯崎さんの文章を院生がどこまで読み込み、どのように解説するのか、興味深かったけど・・・。 磯崎さんのものは頭がわるけりゃ読めない文章だし、逆にそこそこ優秀な人が読み込めば、圧倒的な知識量と論理構成力をもつ磯崎さんの術中にはまってしまうし、厄介だろうなとほくそ笑んでたのだが、微妙に前者になってしまった感も。その後、五十嵐研本の打ち合わせ、パキスタンカレーのお店で食事を挟み、SSDメディア軸オープンレクチャへ。

今回は宮城教育大学の教員でありアーティストの村上タカシさん。現代美術家や漫画家等、同姓同名の有名人がたくさんいるので注意(笑)

もともとは版画作家であった村上さん、1990年代より活動の領域を広げてきたという。村上さんはアートを「もののアート」と「ことのアート」に分類する。前者を大工さん的、後者を建築家的との比喩を使ったが、職人的にオブジェをつくる行為は前者、ソレに対して、村上さんが押し進めてきた指揮者として様々なものと連携を取りながらアートの領域を拡張するのが後者。きっかけは1993年に行ったizumiwaku-project (世田谷区)ではないかという。その延長が3.11を冠する様々なプロジェクトに結びついているという。

ひとおりの活動を見せていただけたけど、内容は仙台アートシティプロジェクトや、氏が所属するMMXLABのウエブサイトを見れば良いのでここでは省略。
http://mmix.org/
http://s-a-p.jugem.jp/?cid=11

村上さんの行っていることは、アートを通して人を育てる、人をつなげる、地域を活性化させるアーティストというかプロデューサーというか・・・。わけがわからないというイメージのアートが、教育学部的模範解答のように、人のためになっている。でも途中ででてきたコーヒーを出してお客とふれあうというエルカップというアーティストの活動、これは「ことのアート」であるとのことだが・・・。クリストが行った地域を巻き込むインスタレーションとは目的がちょっと違いそう。あれは「ことのアート」ではなく、どこまでいっても「もののアート」、ものとしての強度があるものだったように感じるし。建築で言えば、まだ山崎亮さんの段階なのかなあ。

そこで、質問。「アートの定義とは?」ソレに対し村上さんから「人がつくりだしたものであればアートである。自然現象のみではアートではない。」とのお答えをいただく。例えば震災廃棄物等を収集する動きはアクションではあるが、展示する意図をもって配置しはじめてアートになる。廃棄物はそのままではマテリアルでしかないということだろう。

村上氏がレクチャの冒頭で引用したヨゼフボイスの「人は皆芸術家である(ただし、思想と想像力をもった人という前提条件有り)」という言葉。確かにそうなのかもしれないが、「質」の問題は残るだろうな。建築も同じ。さて、私も「ことのアーティスト」として、鼻くそをほじり、屁をコクか。うっ・・・二流だ。しかも、「質」だけではなく「品」の問題も生じそう(笑)

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