近江屋
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真岡に行ったついでに久保講堂を見学。
資料によれば足利市生まれの美術評論家の久保貞次郎氏が祖父の喜寿のお祝いにと1938年に真岡小学校に寄贈。設計はライトの弟子・遠藤新氏(1889-1951)。1986年移築、1997年国の登録有形文化財になったという。
水平ラインが強調された内外観、それぞれの面が明解に縁が切られ、木製建具が連続する。年代からもわかるように、ライト初期・プレイリーハウスの影響を受けた作品か。ちなみに、両側の棟は物見台であり換気塔とのこと。実は屋根と塔の納まり、雨仕舞が気になり・・・。現地を見学し、ああなるほどと思った次第。たしかにココに棟をつくれば水の処理はできる。ついでに窓枠もじっくり拝見。銅板で処理しているんだ。なるほど。ちなみに帝国ホテルが1923年、明日館が1926年、落水邸が1936年、タリアセンウエストが1937年・・・。
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朝一に宇都宮で入所希望者と面接。小野里さんにも立ち会ってもらう。即決にはならず、昼前に宿題をだして、新幹線で仙台に向かう。
今年は「もうひとつ」と言われていた修士設計だが、上位の3作品については、例年と比較して見劣りするなんてことはなかった。7作品も選定するからそう思えただけだろう。
震災時にどこの組織にも属さず自らの意志で避難所に間仕切り家具を造り続け藤村くんの試み。単なる段ボールの間仕切りから、家具に変える事で、見たくないから仕切りを置くのではなく、モノをおくことができる棚を設置するという大義名分により、気まずい思いをすることなく間仕切りを設置できるということに気づいたのは面白い。中間発表時から大きく変化はしていないが、その後からいままでも様々な活動をつづけていたらしい。その活動に対して私は最優秀修士設計賞を贈るべきだと思っていた。だってあの極限の状況で、どこの組織にも属さず、自発的にこんな活動は誰にもできないと思ったから。修士設計の定義が何なのかという問題はあるかもしれないが、この行動そのものは修士に籍を置いている建築学生の活動として賞賛に値するはず。
でも、質疑の時間の雰囲気は最悪だった。例えば「誰でも出来る非常時の物とするか、工場生産を前提としたプロダクトデザインの提示なのか」という質問からはじまった様々な意見は、このプロジェクトを発展させるために必要な好アドバイスだとは思うが、被災地の状況を理解し、彼の行動を評価した上で発した言葉には聞こえなかった。あの状況で、本当に被災者のために何か出来る人がクリティークのなかにいたのだろうか。彼の行動を評価していたとしても、聞いているそう伝わらなければ意味がない。気持ちを伝えることは設計者としてとても必要な能力なはず。
結局、藤村君がやったことは外部審査員にはあまり評価されず。彼のプレゼンも悪くその行動の価値が伝わらなかったのかもしれないが。一時は優秀作品からさえも除外されそうになったという。「自分が審査する立場にあったのにもかかわらず、これを評価しなかったとしたら、後世、絶対に後悔する。東北大生で(もちろん全国的にみても)こんな学生はいなかった。(賞を与えるのではなく)賞をあげさせていただきたい」という五十嵐さんの強い押しでなんとか優秀賞にはすべりこむ。尚、最優秀賞はなし。いま思えば、卒業設計日本一で10選、東京建築コレクション修士設計で日本一となった鈴木茜の作品も最優秀どころか、外部講評に残るギリギリのところだったという。もし落としていたとしたら審査員の眼力が問われただろうなあ。
同じ優秀賞であった石井くんの原発によって通行止めになった場所を全て実地調査し、進入防止柵としての機能を、それぞれの場の特性を生かしながら原発をイメージするようにフォリー化、現在と未来をつなげるプロジェクトもとても意味があり、説得力のあるプロジェクトだった。次点扱いの加藤くんの「光の偏向」という「現象」によって、いままでないような感覚を抱く場をつくろうとする試みも、時間不足ゆえか設計行為にまで行ってはいないが、とても興味深かった。非常勤できていた石上さんや中山さんの影響を強く感じたし。
今年の学部の卒業設計は、力作ぞろい。7作品を選定することが難しいくらいレベルが高かったとも聞く。何度も山田町を訪れ、数十人の人に津波によって流された記憶のなかの住宅をヒアリング、それを模型・図面化したうえで未来に残し、ある1人の施主に対し新しい家のモデルをプレゼントする松井クンの卒業設計らしからぬプロジェクト(優秀賞)、既視感が気になるものの、建築でできることできないこと、映像できることできないことを示した上で、互いの領域を横断しつつ、仮想世界を構築、映像化を試みようとしていた三浦くんのプロジェクト(次点)、その形態や作品をつくる社会的価値には疑問を感じるが、抜群のデザイン力をもつ雨宮くんの設計、(優秀賞)、サッカーによるの動きよって生まれる形をフォルマリススティックに圧倒的な物量とドロウイングで提示した小林君(優秀賞)などなど・・・。
そのなかでも一番の興味を魅いたのは、曽良さんのデータセンター。紙をデータ化し、そのデータをデータセンター転送。そこではサーバーの発する熱によって、樹木が育つ。その樹木を加工し、紙をつくる。その紙にデータを打ち出し、それを積む事に寄って新たな空間が作られて行く。そこはデータセンターであるが、記憶のモニュメントであり、図書資料室、イベントスペースなど様々な場として機能する。さらにその場は水に埋もれ消失の可能性も感じさせるようなもの。その実在から仮想へ、仮想から実在へ、紙という弱い媒体、データという形のない媒体、輪廻の連続を、短い命しか持たない「水槽の中の金魚」が夢見る物語という紙芝居で提示。この年齢特有のものだろうか、彼女の心の中にある「はかなさ」への共感が、紙芝居と作品に奇妙な連続性を持ちながら、メタファとして連続的に現れた作品だったと思う。建築模型が魅力的ではあるが、強い形と質感をもっているように感じさせるので、もしかしたら「か・かた・かたち」のかたちが少々違うのかもしれないし、その強さは模型の質感のせいという単なる誤解なのかもしれないが、とても想像力を喚起させる作品だったと思う。質疑の時間にアレ?と思うような質問が多かったのだが、これは順当に最優秀卒業設計賞をとったのでほっと一息。
終了後、少人数で飲みへ。更にいろいろな意見を交換して、未明に解散。朝一番の新幹線で宇都宮に戻る。ほんとみんな頑張っている。数年前より格段にレベルが上がっている気も。他人事ととらえず、自分も頑張らないとなあ。自分がいまやっていることを棚に上げて、批評や分析をするようになっては寂しいだろうから。
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docomomoから封書が届く。中をあけると大きな大きなポースター[docomomo Future and Legacy]展のお知らせだ。UIA東京大会の関連事業だそう。あれ?それって去年の話ではと思ったら、その通り。ポスターはB4で切り取れるようになっていて、裏面にはdomomomo150選の建築名と解説が記されている。どうやら、切り取って冊子として保存して欲しいようだ。
目に止まったのが[No104作新学院円形体育館]。選定作品が宇都宮市内にあったなんて全く知らなかった。2003年に100選を選定、2005年の115選に選ばれていたようだ。せっかくなので、その解説を転記。
1952年/設計:巴組鉄工所/施工:巴組鉄工所/宇都宮市一ノ沢
第二次大戦前、巴組鉄工所の創業者野澤一郎が開発した立体トラス構造を使用するダイヤモンド・トラスの技術を、体育館に応用した初めての事例である。フーラー・ドームに影響を与えたとも言われるように世界的に見てもその技術的革新性は特筆に値する。ダイヤモンド・トラスは、構法的・材料的・経済的合理性を兼ね備えており、第二次大戦後、学校建築における体育館の屋根構造として日本全国に普及した。
巴組・ダイヤモンドトラスでググると確かにこんな解説がでてくる。
残念ながら、作新学院のウエブサイトを見そんな記述は見つからず・・・。構内案内図でも円形体育館が重要な施設としての紹介はなし。一度見てみたいものだけど、私立だからちゃんと予約しないと厳しいだろうな・・・。
で、No106は上小沢邸。同様に転記。
1959年/設計:広瀬鎌二/施工:渡部建設/東京都品川区/改修:神保哲夫
1950年代、戦後の住宅難が続いた時代背景の中、SH(スチールハウス)シリーズと呼ばれる一連の鉄骨造住宅により、日本の工業化・規格化と新しい住様式創造の問題にとりくんだ広瀬鎌二の代表作のひとつ。この上小沢邸はRC造だが、各室を一列に並べテラスを全面に置く構成や、水平線を強調した伸びやかな外観デザインなどSHシリーズと共通し、広瀬の住宅作品の特徴をよく示す。所有者の意志により保存、改修され、現在レストランとして使用されている。
でもこの解説にはチト疑問。広瀬氏の代表作として取りあげらはじめたのは改修が行われてからの事。当時の状態を守り、モノをもたずストイックに住み続ける施主の住まい方がその評価の主要因だったと個人的には思う。各室を一列に並べる構成も広瀬デザインのなかで一般的だったとは言えないと思うし。さて、自分だったらこの建築をどう解説するだろう。鉄骨を避けた理由を紹介しつつ、前期作品分類上のポイントとなるSH1,SH13,SH30,SH64,SH67と比較して記せば良いのか。いざ自分で書く事を考えるととても難しい。
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広瀬鎌二氏の訃報を聞き、鎌倉で行われるお通夜へ。ご本人にもっとお話をお伺いしないとと思いつつ、先延ばし。89歳なんだからいつ何があってもおかしくなかったかあ。
昼夜逆転の生活、濃いタバコを好み、車が好きで10歩以上歩かないとの噂も。そんな広瀬氏の御遺影は正面を向いたものではなく、赤いチョッキを着て本を読んでいる横顔。それを見ていたら、悲しい気持ちより、なんだか微笑ましくなってしまった。本当に自分の信じるまま、自由に生きたのだろうなあと。
遠方までいったので、建築見学もしたかったけど、仕事が終わらず精神的な余裕がないのでとんぼ返り。
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今日は朝9時から5時までみっちり申請作業。開場と同時に法務局・土木事務所・市役所・銀行・マクドナルド(図面作成)・セブンイレブン(プリント&コピー)・ 現場・・・食事も抜きで何回往復したことか。ちなみに土木事務所の担当者には5回も顏をだした。理由は書類を提出するたびに、また何か追加書類を要求されるから。正直どうでも良い申請という気もするが、嫌な顏ひとつせず、はいはいと書類をそろえる私。ほんと温厚になった(謎) 出先でもネット経由でプリントできるセブンイレブン、電源とネット環境を提供してくれるマクドナルドはありがたい。
で、事務所に戻ると、「建築学生のハローワーク 改訂増補版」が届いている。手に取ってびっくり仰天。なんとカバーはオレンジ!しかも帯は緑!強烈な配色だ!
さて、改訂版で何が変わったかがとても気になり・・・。五十嵐さんの緒言によれば「事業計画、マネジメント、プロデュースなど企画・発注系の業種に重きをおいた」との事。そのとおり、下記のような項目が増えている。数字はページNo。
仕事の解説として以下の3つが増え・・・
098 アセットマネージャー
102 コンストラクションマネージャー
108 プロパティマネージャー
インタビューやコラムは8つの大幅増
034 省エネ、信頼性、国際化。拡張する設備設計の可能性
048 素材や製品から建物をつくる
054 かたちから仕組みをつくる人へ
104 発注者の立場から都市をマネジメントする
116 ヒトとおカネを動かし新しいコトと場を生み出す
150 世界で通用するプロジェクトマネージャーを目指して
154 BIMはパラダイムシフトを起こすか
204 折り紙から新しい建築を想像する
執筆者に納見さん(CM)が増えたのが新しいところ。担当部分も多い。
で、削除されたのが、セルカンさんのみ。まあ仕方ないな(苦笑)
特に今回補充した項目は私も注目していたもの。企画なければ設計は成立しない。設計しても、CM、メンテ、運用がうまくいかなければ意味が無いという、一歩さがってみれば当たりまえの分野について記述したもの。新しい分野ゆえ、定義やビジネスモデルが明解になっていないと思う。だから、自分で取材してきたものと、とらえてきたことと若干の違和感を感じる部分もなくはない。それでも、この分野を紹介し、記述していかなくてはならないだろうと強く感じて書をたたむ。来年の就活マニュアルは何をテーマにしよう・・・。
追伸:3月締め切りの原稿書きの打診。さて、どうするか。
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すっかり引きこもって図面の追い込み中。目が疲れたので、少々休憩のつもりで、Jコミを見る。
廃盤になった本を無料で掲載しているとはいえ、有名作家のものもちらほら。例えば、青春の書「コージ苑」で一躍スターとなった、相原コージ氏の作品「神の見えざる・・」(・はブログの品位を考え自粛)など。
あ〜これ雑誌で読んだ!と無駄な記憶が呼び覚まされたのが「上海レポート③ 便所編」のこの絵。
中国って、「こんな便所なんだ・・・」と当時衝撃を受けたのを覚えている。しかも、紙一枚を器用に使い尻を拭くとか。繊細な私は、ああ中国はちょっといけないなと思ったものだ。ああなつかしい。
休憩のつもりで読んだこの本。却って目が疲れてしまった・・・。
しかし、しょうもない本だ。笑いがとまらない。
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